歳をとっていくタレント 

2013年10月17日 | 未分類 | Permalink

雨の日の憂鬱感というのは一体、どこからやってくるのでしょうか。外に出るときはもちろんですが、家の中にいるときもそれは感じるものです。
ザーっという音の中に埋もれていくような不思議な感覚。感傷に浸ってしまうような不思議な感覚。
雨には不思議な力があるのかもしれないなぁ。だって、信じられないくらいたくさん水が落ちて来るわけだし。人間じゃ相当なエネルギーを使わないとできないようなことをやってしまう。すごいな、自然現象。なんて思ってしまいます。
そんなすごいものであるし、人も少なからず影響を受けるものであるのに、他にも不思議なのは雨がなかなか描けないものであるということです。
そもそも、雨は見えているもののようでいて、見えていないような気がします。
向こうの方の視界が悪くなるから気付くものであるような気もします。
夜に街灯や車のヘッドライトの光を反射しているときは実感しますが、それ以外のときはどう描き表わしたら良いのか。
雨っていうのは本当に、実態のないような不思議さを持っているなぁ、とぼんやり考えたりするのですが、よくよく考えてみると、それは雨が不思議なわけではないのかもしれません。
それを不思議だとか感じているのは自分なわけで、憂鬱感を持つのも自分です。
だとすれば、本当に不思議なのは自分、もしくは人間なのかもしれません。
ということは、これからは「雨って不思議だなぁ」とは思わずに「人間って不思議だなぁ」と思いながら雨を眺めなければならないかもしれませんね。でも、それは、すごく変なことのようにも思います。
変と感じるのも人間の不思議なのか、そもそもなんで変と感じるのか。そんなことを考えているとキリがなくなってしまいそうですが。
とりあえず、今、言えることといえば、「それでも私は、雨って不思議だなぁ」と思ってしまうんだろうなぁ、ということです。

予言

2013年10月13日 | 未分類 | Permalink

今から10年前に、あるミュージシャンが原子力発電反対の歌を歌っていたのを覚えています。その時は何がなんだか分からずに、「こういう考え方の人もいるんだな」程度にしか思っていませんでしたが、今考えたら「予言者」だと思うのです。
彼女は歌いはじめる前に、お客さんに向かって一生懸命説明をしていました。
「これからお話しする内容は事実です。どうか皆さんも一緒に考えてください。今から数年先に東海地震が起きると言われています。日本にはこれまで経験した事がないような大きな地震が来ると分かっているんです。それは多くの地震研究者によって分かっている事なのに、日本はパニックを恐れて公表していないんです。そしてその地震が起きた時に、原子力発電所の土地に地割れが起きて放射能が漏れだす可能性が高いといわれています。一刻も早く対処するために、危険を回避するために原子力発電所の稼働を止める事が必要です。日本における電気は今、余っている状況で民営化されようとしている時代です。それにも関わらず、国は原子力発電所を更に建設しようとしている。もし今戦争になって、この原子力発電所が狙われたら、原爆を落とさなくてもミサイルで原発を狙うだけで大きな被害が出ます。こんなに危険な原発を無理に増やす必要はあるでしょうか?日本が高度経済成長を遂げられたのは電気のおかげです。だからダメとはいいませんが、これ以上必要は無いのではないかと言う事は言いたい。どうかみなさんも真剣に考えてみてください。」
彼女はそう告げて原発反対の歌を歌い始めました。
二十歳すぎくらいの可愛らしいお嬢さんと言った雰囲気の女の子の口からこのような言葉を聞かされるとは思いもしませんでした。だから印象に残っていて。
その時は、国家施設なんだからそんな訳ないでしょ。と半信半疑で聞いていただけでしたが、今となっては彼女の言っていた事が深く胸に突き刺さります。
あの時に、みんな彼女の言葉に耳をかたむけていたら。と思いました。

母がiPadに興味を持ったらしい

2013年10月8日 | 未分類 | Permalink

つい最近の母との会話。母:「iPadを買おうと思っているんだけど」 私:「は?」

留守電に連絡くださいと吹き込まれていたこともあって、何事かと思えばそれである。曰く、還暦が近い母はもうパソコンを使いこなそうとは鼻から思っていないらしい。

それでも情報収集のツールは何かしら欲しいということもあって、その結論がiPadだったらしい。

で、iPhoneユーザーでもある私にどう思うかという意見を求めてきたのだ。パソコンの代わりにiPadというのも極論な気がしないでもないが、興味を持つのは良いことだと思う。

このことを地元の友達に言ったら、その友人の母も同じようなことを言っていたらしい。iPhoneやiPadユーザーは、20~30代が中心と言われているが、その上の年代も興味を持っているのだなと改めて感じた。

それだけiPhoneを始めとしたスマートフォン、タブレット端末の影響はすごいものだったということだろう。

iPhoneのためにソフトバンクに乗り換えて早数年。先日、ついにiPad3が全世界同時に発売された。発売日にはショップに長蛇の列!

iPhone4S発売当時もそうだったが、新し物好きの日本人の執念はこの時も如何なく発揮されている。しばらくは品薄なのだろうなあ。

このiPad3は解像度の向上と、高速4G回線搭載がウリ。前モデルのiPad2は値下げとのこと。iPhoneユーザーは今iPadを購入すれば、月額使用料が安くなると言う。

電子書籍を見るために、何らかの電子書籍リーダーを購入しようかとは考えているがiPadにはあまり食指が動かなかったんだよなあ。iPhoneを持っているせいかもしれないが。

先月発売された東芝の「ブックプレイス」、Amazonの「Kindle」など迷うところ。SHARPがリリースした「ガラパゴス」の不調からも見て取れるが、電子書籍の必要性を皆認識していながらもいまいち盛り上がらない電子書籍業界。

かといって出版業界のこれからは電子書籍なくしてありえない。黎明期であるからこそ、何かしら盛り上げていかなければならない。ただ、まだまだ時間がかかりそうだ。

話を戻すが、私はiPhoneを最低限使いこなすのに1週間を要した。仮にiPadを購入したとして、果たして母がどのくらいで使いこなせるだろうか。

必然、教師役は私。まあ、親孝行だと思っておくことにしよう。

低血圧

2013年10月2日 | 未分類 | Permalink

最近、朝起きるのがきつい。
昔から低血圧で、上の血圧が高いときで100、低いときは85とかが普通です。
低血圧だと朝起きるのが辛いと聞きますが、本当でしょうか?
本当に病的なくらいに、朝が辛いんです。

朝すっと起きる事が出来る人を見ると、どうして同じ人間なのにこんなにも違いがあるのかと羨ましくなりますし、そう出来ない自分は単に怠け者なんじゃないかと自己嫌悪してしまいます。
でも、とてつもなくきついんです。
朝起きれる友達は、起きる時きつくないの?と聞いてもきつくないと言います。
心がけが違うのか、気持ちが違うのか…
同じきつさでも、人によっての意思の強さで違うのか。
色々と考えてしまいます。

このまま朝に弱い自分だと、もし結婚して子どもが出来たときに母としてだらしない母になってしまいますよね。
それだけは嫌だし、早起きしてやりたい事は沢山あります。

「早起きは三文の徳」と言いますよね。
早起きして朝の新鮮な空気を吸って、お散歩してみたり朝からお菓子作りに励んでみたり、時間を有効につかいたいと思うのですが、どうしても起きれない。
二度寝・三度寝を繰り返してしまい、いつも自己嫌悪しています。

見かねた友人が誕生日プレゼントに強烈な音で起こしてくれる目覚ましを買ってくれたので、出来るだけ遠い場所に目覚まし時計をセットして目覚ましが鳴ったら一度起きて、離れた場所まで止めに行く。そしてその行動によって起きる!と言う作戦も実行しましたが、どうしても意思が弱くて数日も続きませんでした。

どうしたら朝楽に起きれるようになるんだろう。
本気で悩みの種です。
社会人として、寝坊して遅刻するような事はないけれど、ギリギリまで寝てしまうので、余裕のある朝生活がしたい。

まずは精神面を鍛えないとダメですね。

時を旅する先輩

2013年9月28日 | 未分類 | Permalink

溢れそうな涙を、必死にこらえていました。

朝に会えば「おはよう!」帰りに会えば「またね!」「バイバイ!」そんな風に、必ず挨拶をしてくれました。私が先に気がついて「おはようございます」「さようなら」と言えば、にっこり笑顔で挨拶を返してくれました。

廊下で会えば「元気?」と声をかけてくれたり、二人の間に距離があれば手を振ってくれたりしました。いつも元気いっぱいで、大好きな先輩でした。

私たちは家の方向が同じなので、下校中に会えば途中まで一緒に帰ることもありました。歩きながら、恋愛の悩みを相談したこともありました。先輩は親身になって聞いてくれました。

先輩に悩みを打ち明けたことで心は軽くなり、先輩がくれたアドバイスはとても心強いものでした。いつも優しくて、大好きな二つ上の先輩でした。

ずっとこの学校に先輩がいてほしいと、心から思っていました。でも、その願いが叶うことはありませんでした。着々と近づく、卒業の日。先輩たち卒業生は、真っ直ぐ前を見て歌っていました。その後ろで、私は涙をこらえるのに必死だったのです。

懐かしいあの日を思い出すと、さらに涙がこぼれそうになります。暑い夏の日、汗を拭いながら二人で歩いた道を思い出します。視界の隅でとらえた、揺れる小さな花が思い出に花を添えます。

あのときの話題は、お互いの恋愛のこと。先輩にはステキな彼氏がいました。先輩の彼氏に憧れる女子も何人かいて、お似合いの二人でした。

小雨が降る中、傘を忘れた私に先輩が貸してくれたこともありました。私が傘を借りてしまうと先輩が困るんじゃないかと心配すると、彼氏の傘に入れてもらうから大丈夫だと微笑んでくれました。

そんな先輩が、この学校からいなくなってしまう。そのことは淋しくてたまりませんでした。「私でよかったら、卒業しても何でも相談して」そう言ってくれた先輩の言葉を、本当に心強く思いました。「卒業したって友達に変わりないよ」”先輩”や”後輩”ではなく、”友達”と言ってくれたことが、本当に嬉しかったのを覚えています。

今にもこぼれそうな涙をこらえながら、初めて知ったことがあります。先輩って、時を旅する人だったんだね。いや、違うか。時を旅していたのは、先輩との日々を思い出していた私の方だ。

どこまでも行きたいが気球は怖い

2013年9月20日 | 未分類 | Permalink

子どもの頃から今の今まで、一度も空に夢みたことがないわけではありません。旅することができたらステキだなぁ…と、青く広がる大きな空を憧れたことはありました。

鳥のように翼をはためかせて飛ぶことはできなくても、空に近づいてみたい。空には負けるけれど、それでもやっぱり広い野原を軽々と越えてみたい。自分の足で歩ければ遥かな距離も、優しい風にのることができたら、おもしろいくらいあっという間なんだろう。青い空にぽっかり浮かぶ白い雲さえ、飛び越えてしまえるかもしれない。

果てしのない野原。高い高い雲。その向こうにはどんなものがあるのか、自分のこの目で見てみたい。

青い空もステキだけれど、星が広がる空も魅力的。宇宙こそ、遥かなるもの。星座の世界を旅することができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。数え切れないとはわかりつつ、星をひとつひとつ数えながらそんなことを思う夜もありました。

でもその夢が叶わないことは、十分知っていました。たとえ叶えてやると言われても、喜べない自分がいます。

子どもの頃から今でも変わらず、私は高いところが大の苦手。屋上、観覧車、飛行機…。そういったところは全く平気です。そこから落ちる可能性がゼロなわけではないですが、足場が安定していたり建物など何かの中にいたりすれば、比較的安心していれました。

私が怖かったのは、自分でよく気をつけていなければいつ落ちてもおかしくない場所。たとえば、クレーンやハシゴなど。そんな私が「気球にのってどこまでも行ってみようか」と誘われたとして、大喜びで二つ返事ができないのは言うまでもありません。

確かに、空を旅してみたいとは思います。でも、夢に見ているだけで十分。確かに、果てしなさの向こうにあるものを見てみたいとは思います。でも、どんなものがあるのか想像しているだけでいい。確かに、きらめく星のすぐ側を通り抜けることができたら感動するかもしれません。でも、そんな自分をイメージしているだけでいい。

夢の全てが叶えば幸せかといえば、そうとは言えません。世の中には、見たり知ったりしない方が良いことだってあります。気球に乗ることは私にとって、楽しいよりも恐怖。「ラン ラン ラン」と歌いながら、気球に乗った自分を想像しては身震いしていました。

予定を組んで進むのが好き

2013年9月12日 | 未分類 | Permalink

最近は休日が充実している。毎週末に何をやるかということが1ヶ月先まですでに決まっている状態だ。仕事が順調なのも結構だが、プライベートが充実というのもやはり良いものだ。人間遊んでお金を使ってナンボの生き物と僕は思っているからね。

今週末はハーレーのイベントに参加する予定だ。天気が崩れなければの話だが。とりあえずは今のところ曇りのち晴れという予報なので大丈夫だろう。久しぶりの中距離ツーリングともなるので、楽しみで仕方が無い。

それ以外にも、今週末はプールにも行く予定だ。長らくやっていなかった水泳をはじめることにしたのだ。目的は健康管理。はっきり言えばダイエットだ。水泳の運動量は非常に高い。ジョギングをやるよりも短期間で効率的に目的を達することができる。そのうえ体にも負担が少なく怪我もしにくい。唯一の難点は、プール使用に500円かかってしまう点ぐらいだろうか。

次の週末は、地元の菜の花ロードを知人とツーリングだ。これもまた楽しみだ。普段はそっけない川沿いの道が、この時期だけは一面に菜の花が咲き乱れて素敵な姿へと変貌する。菜の花の香りと美しい風景を存分に堪能してくるとする。

さらに次の週はキャンプで栃木県まで行ってくる。今年初のキャンプだ。しかも今回は登山も予定に組んでいる。本格的な登山は人生初のため、今から緊張半面、楽しみ半面だ。

予定が詰まっていると、毎日やることの方向性が決まって良い。平日のあいた時間でも、登山装備をふらっとショッピングセンターまで物色したり、ツーリングに向けてバイクの各種点検も行う。それら小さな準備もまた小さな楽しみとなり、大きな楽しみへとつなげてくれる。

唯一予定を組むことでネックとなってしまうのは、突然の誘いに臨機応変に対応できないところだろうか。先日も食事に誘われたのだが、その日は寝袋を買いに行きたかったので誘いを断ってしまった。折角誘ってもらえたのに残念だ。

こういうことがあると、予定を組まずに臨機応変に対応できる自由な生活もいいのではないかと思う。だが、僕の神経質な性格がそうはさせてはくれないようだ。予定を組んで準備をする、これが昔から一番楽しいのだ。それに、予定を組まずに生活する場合、なにもやることがなくなってしまった際の時間の勿体無さを感じるのも嫌だ。

視聴者側と製作側の違い

2013年9月12日 | 未分類 | Permalink

CSIラスベガスのシーズン11をレンタルしてきた。1巻から8巻まで全てだ。これから一気観をする。今週の土日はCSIにどっぷり浸かることになりそうだ。

シーズン10を観たのが随分前だったので、話の流れがすぐに思い浮かばなかったのだが、レンタルのパッケージを見てすぐに思い出した。ラングストン教授が刺されてそのままシーズンが終わったままだったのだ。凄く気になる状態でやきもきしたのも思い出した。やっとどうなったのかがこれから確かめることができる。

海外ドラマの長シーズンものでは、話の途中でシーズンを終えてしまうことがよく見られる。次のシーズンまで視聴者を引っ張らせようという目論見なのだろうが、観ている側としては気になって仕方が無いものだ。本国で観ている人であればそれほど次のシーズンまでの差は無いのだろうが、日本ではそれよりさらに待たされてしまうこととなる。実に長い間気になり続けなければならない。

通常、切りの悪いところでシーズンを終えるということは次のシーズンに続投が決まっているからできることなのだろうが、稀にそれに失敗して作品が急遽終えてしまうことがある。最近では、それを『ターミネーター サラコナーズクロニクルズ』喰らってしまった。

『ターミネーター サラコナーズクロニクルズ』は、シーズン2までは順調に放送され、シーズン3に向けて切りの悪い状態で幕を閉じた。しかし、シーズン3のストーリーはすでに完成していたものの、映画『ターミネーター4』が興行的に失敗したことや視聴率の低迷などの理由で製作できなくなってしまったのだ。楽しみにしていたファンとしては非常に悲しい結末となってしまった。

このような事態になってしまうことがあると、映像作品はお金や人気が絡んでおり、自由に思想が表現できないのだなと残念な気持ちになってしまう。作品を楽しむ側としては、作品の出来が全てなわけだが、TV側としては視聴率が絶対なのだろう。

視聴率を得るため、ドラマにも様々な細工が施されているのが時々目に付く。例えば、特定の商品が劇中に登場したり、お色気シーンが登場したりだ。特に新ドラマの第1話は必ずといっていいほどお色気シーンがある。これは正直、視聴側としては「こんなシーンいらないんじゃないのか?」と思ってしまうこともある。

そういう視聴率との格闘がありながらも、CSIはシーズン10以上も続いている。世界中で多くのファンがいる大人気作という証拠だ。

歳をとっていくタレント

2013年9月12日 | 未分類 | Permalink

部屋を掃除していたら懐かしいビデオを発掘した。バラエティ番組の「内村プロデュース」だ。昔から滅多にテレビを観なかった僕が観ていた数少ない番組のうちの1つだ。

番組がやっていたのは平日の夜11時くらいだった。当時は学校で遅くまで作業し、その後友人と夕食がてら遊び帰宅すると、夜10時くらい。それからシャワーを浴びて寝る前に内村プロデュースを観ていた覚えがある。

毎週録画も行っていた。まぁ、だからビデオが残っていたわけなのだが。暇な時はBGM代わりに流しながら部屋で過ごしていたもんだ。部屋の掃除や、パソコン作業の際に。

番組が終了したのは寂しかったが、後継番組に近い「内村さまぁ~ず」が開始されたので残念すぎるということは無かった。相変わらずの面白さで楽しませてもらっている。

内村プロデュースが終わってもうかれこれ10年近くが経つ。早いものだ。きっと今観たら出演者のみんなが若々しく見えることだろう。また、活発な動きに驚きもするんだろう。内村さんもさまぁ~ずの二人も今ではすっかりおじさんだからね。

しかし、好きなタレントがもうすぐ50代に突入してしまうというのは変な感覚だ。小学生の時から大好きだったダウンタウンやウッチャンナンチャン、さまぁ~ず(当時はバカルディだったなぁ)なんかは、いまだに20代、30代のピンピンのイメージだ。それが世間一般的にはおじいちゃんと呼ばれてしまう年代に突入しているのだ。不思議な感覚だ。

もう後10年ちょっと経てば、社会的には定年退職だ。これまでの10年があっという間だったのと同じように、この先の10年もあっという間だろう。歳が増すたびに時間は早く感じるということから、一層早く感じるかもしれない。大好きな人たちが年老いていくのを観て、いつか訃報がと考えると辛い。まるで身近な友人の不幸と同じようだ。

だが、タレントという職業は素晴らしいと思う。映像作品に残っていつまでたっても当時の状態のままの彼らを楽しむことができる。今再び「内村プロデュース」を観ても、当時と同じように僕を笑わせてくれる。映像の中では、いつまでも若々しいタレントのままなのだ。

ただ、残念なことに今家にビデオデッキが無い。テープがあっても観れない(笑)。ビデオデッキなんていまどき電気店で売ってたっけ(笑)?